源氏物語1000年yokohama art musiam

休日を此処のところ家と下北(岩盤浴)-成城学園前(ハーブ)
で済ませてきたので、遠出がしたくなりました。
ここの美術館は木曜休みで月曜はやってるんです。
源氏物語1000年のポスターは地元経堂の図書館にも貼ってあって。

横浜は音楽が楽しい場所でもあるので夜までいいかなーと思い
みなとみらいチケットを買って午後から出掛けてみた。
雨で独りで、友人もまた、つかりませんでした。
Barracaoも、お休みの日。フリーのライブでも行くか!


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私は短大国文科卒なんですが
短大で文学なんつっても大したことする時間はないんです。
それでも、感じの良い女性の教授が教えてくれる
源氏物語の授業が印象に残っていましてたったの1年間でしたが、
あのミミズのような文字の解読方法を教わったていたのです。
不思議なことに当時の王朝文化に関する言及は全くなかったような気がします。
そういうことを語りに語るというタイプの先生ではなかったのですね。
ただただ、解読しながら文章を読みますが平仮名1つに対して5種類位
崩し文字があるんですよ。今覚えているものは殆どないんですけどねー。



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実は五島美術館の方も、2年くらい前でしたっけ?行ったんですよ。
あちらは量は少なかったのですが平安の原本というのかな、
破損は激しいのですが、本当に平安のもので、その復元版が隣に並べてありました。
つまり水彩で、当時はこんな色目だったでしょう、みたいな。
色が剥げ落ちていても本物はやはり見ごたえありました。


今回は横浜らしく、あまり過去にはこだわらない感じで(?)
平安のものは殆どありませんでした。

源氏物語を描いたもので残っているものが色々と展示されていて
つまり、後年、読み継がれる際にその時代の画家が残した絵です。
掛け軸とか、金屏風とか、ですね。

感想、やはりその時代の絵はその時代を映しているので
平安時代に描かれていない絵には源氏物語の世界を覗く時の
あの不思議な<宇宙一体>感覚はないのでした。

あの平安の貴族の時代の不思議な生物感覚は何なんでしょう?

室町時代は室町時代を映しているし
江戸時代は江戸時代を映している。



武士の世界になったからなのか、人間くさいというかやはり
血みどろの時代の逞しさというかですね。
それが絵の様子になっています。
源氏物語の時代の女性を描いているんですけどどこか
輪郭とか、着物の様子とかね。各時代風です。


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何が違うかと言うと、金箔の使い方です。

ヨーロッパの宗教画などでも
金が背景に来る場合はとても神聖な意味なんですね。

平安の絵巻の金はそうなんです。
宇宙の神秘とやんごとなきこの世の光を表現する為の「金色・金箔」なんですね。
この世の光というものは、何かというと精霊や神の様なものであり
自分達を生かす太陽や月の光であり、政界や恋愛やお家にとっての希望です。

それが、乱世の世(室町時代~)で使われる金(金箔)は
私の目から見ても権力の象徴として派手派手しく使われています。


江戸時代になってしまうと、文化乱舞で結局倹約と相互牽制の文化が
女性の衣装も小さくしてしまいますのです。
どーもあのふわっとした感じやおっとりした感じがナイ。
もっと言えば宇宙と自然と一体に生きているような神秘がなくて
わさわさとたくさんの人間がお互いの中で揉まれているので
同じ日本人とは言え、別の生き物になってしまったかのよう。


結構、平安の衣装はオーガンジーの重ね着だったりするんですけど
江戸の絵になるとなかなかそういう面白いものはなくて
タイトな感じになってくるわけですね。目も釣りあがってくる。
面白い服を着れるのは大奥の方々でもなくて、もう遊女しかいない。
江戸時代はある意味フリーセックスな世の中だったというので
遊女というのはその中にあってどんな位置にあったのかと思うんです。
結構、卑しいとは言え、お姫様の世界だったんでしょうね。
遊女だけは女の装いを誰よりも追及できるというか。大奥の方でさえ
相互牽制の文化の中ではタイトな装いになってしまうわけなんです。


そういうのが同じ十二単衣を見ても時代性として見えるんですね。



江戸時代の漫画では女三宮が猫に簾をまくられる場面との比較で
当代の美女、つまり花魁が犬を連れている絵がありまして
その絵は明らかに、<どうよ。当代の美女の強さ美しさ>
と言っているんですね。
皇室の皇女と遊女を比較して遊女に軍配と言うのにびっくりです。


あと「黄昏」という言葉に洒落があったことに今日気が付いた
のですが、江戸田舎源氏という歌舞伎があったそうでして
そこで主人公の駆け落ちする女が男とむしろに姿を隠しながら
夜の道を行くのですが、その女の名前が「黄昏」だったんですね。
江戸田舎源氏とその連れ黄昏、というわけです。 なんだー。


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でも、江戸後期から明治~大正、そして昭和となると
文化が浸透し、源氏物語も広く知られるようになり
着物の文化を幾分客観的に見れるようになったのかな?
良い絵が出てくるんですよね。
こちらも急にとても透明な気持ちで絵を見れるようになります。
つまり、国学ではないけど、きちんと時代と文化を検証して
絵を描く人が増えてきたんでしょうね。


金の使い方も上品になり、女性の頭がとても平安風に小さくて
髪の描かれ方、着物の描かれ方がどことなく折り紙のような様子も
当時の絵の構図を綺麗な気持ちで踏襲していてエゴが少なくて良い。

でも最も気持ちを捕まれたのは、独自の解釈と視点のある
明治後期の梶田半古という画家のものでした。
まるでどこか漫画のカットようにはっきりした打ち出しで
伝わりやすい絵でもあるし、かといって非常に日本画であるし
アングルが詩的で、その章を象徴しており、おまけにほっとさせます。
写真集では見かけたことのある絵でしたが
本物はもっととても白っぽくて上品で輝いていました。

ポストカードが欲しかったのですが
解説付き写真集だけで、5000円したので断念。
でも本物が見れて良かった!

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源氏物語はすでに20ヶ国語で訳されて各国で出版されており
物語は原稿用紙に換算すると1200枚にもなるそうです。
主人公誕生から3~4代に渡る大長編ですが
不変的な人間の間に起こる色々な物事、因果応報、自然との関わり
を包み隠さずというか、かといって推理小説のように大仰にせずに
ごく自然な思いやりに溢れた描写に抑えています。

一夫多妻制の上、関係を持った女性の生活はすべてフォローできる
光源氏の甲斐性と経済力、これは現代では望めぬユートピアですよね。

また、夢のような描写として人気を博するのは何かと言ったら
そりゃあ、文明の描写も細かくて素晴らしいのですけれども、
他の女性がいたとしても相対する時間を本当に大切にする男性の様子
その時に使う配慮に満ちた言葉の豊かな様子でしょうか。

女性同士も何とか気持ちを引き裂かれながらもお互いの尊厳を保ち
進退に気を使った女性の本当に存在が光ることなどが面白いですし
貴族やその後の時代の道徳的教養とされた理由かなと思います。
(お互いを大切に扱わなかった場合、恐ろしい話も出てきますしね)

それでも、どんなに美しく、経済的に豊かで、上品な人々の間にも
悲喜こもごも、憎しみ、嫉妬、孤独、破綻、運命の狂い、秘密、怨霊、祈り
そんなものがたくさん存在していて、
それを花に風に虫に例えて和歌を文にして、自分にも相手にも
逃げのある間接的な表現であっても、懸命に相手に気持ちを伝えたところ。

そんな手法は日本人ならではで、色彩の感覚も非常に細やかでした。
文の薄紙の色、添える花にも気を使ったのですから男性も相当です。
そういう配慮ができない貴族の男性は馬鹿にされていたんですね。


私がはっと心奪われるのは
夕顔の粗末な家に源氏が寄ろうとしたときに
召使の女が扇子の上に夕顔の花を乗せて侍従に差し出すのですが

古代の人はそんなことをしていたのかと。


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帰りは491に寄ってみると
ま~たしても志宏さん!

どうも周期の単位が似てるようで!
(私が何倍速かわかりませんが)




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