京都往き~町家を訪ねて~

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駄遣いになるから京都はあきらめて、髪にウェーブでも当てるかな、なんて思って
朝、部屋を出たのですが、お目当ての美容室は夕方まで満杯。
うーむ、これは髪にお金を掛けるより旅立てとの暗示か?

下北に行ってごまかそうとしていたら 、駅のホームで半襟の素敵な
何ともほっこりした80歳のおばあちゃまに色々と聞かれているうちに、なんだか世田谷の昔を映すこのおばあちゃまが素晴らしくチャーミングに思えて京都への足がけとなった。

そう、私は金券ショップで誘惑を振り払ったにも関わらず
午後3時の新幹線に乗ってしまいました。

風邪で堰が止まらない体調を押して行ってもそれ以上の収穫があると思われました。
なんとなく。


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この世の中を思うと、京都の<町家>を是非見学をしたいなと憧れておったわけです。
ハナの効く動物の勘とでももうしましょうか。

1月にお餅つきパーティーが青山のとあるスペースで行われたのですが
ここに飾ってあったのが町屋の写真集。 ついに理想的な写真集でした。
限りなくゆかしいものを感じさせる襖や建具に関する解説も出ています。

全国には豪農の館、建築様式なら桂離宮など立派なものはたくさんありますが
町屋は限られたスペースに<情趣>と良い意味での<見栄>と<実>と<配慮>を
京都人庶民のプライドで現実と折り合わされた建物で、凝縮された濃い文化を感じます。
しかも、都市の商人の家であるのですからお公家さんのそれとは違い当然合理性に富む訳です。


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京都は『特別』なんだそうである。そうじゃろ。。(笑)

だいたい、なんで今、京都なのか。 男の子だって舞妓はんみたいなのは居るもんですが
それが米でSAYURIなんて映画までできちゃったりしてね!

英語でしゃべらナイトを見ていたら舞妓はん遊びには、触りそうで触らない、手を抜き差しする
ゲームがあって、これがえらい「苦苦苦・・・」という快感らしいんです。

まぁ、そういうことばかりではなくて、生活の知恵を拝借したい、というのかな?

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朝の8時半からの散策は京阪三条のスターバックスで鴨川を見ながら朝食
川べりに変わった鳥(ゆりかもめ)を発見しながら 爽やかな気持ちで祇園界隈に向かいます。
花街通りとはまた別の、東西に伸びたYの字になっている景観保護区のようなところに
早速紛れ込みます。 この辺は成り行きにしても勘のよいところ。
格子戸の2階屋が続きYの一方は黒、そしてYの一方は茶色でほぼ揃っており大変美しい。
小さな稲荷神社のようなところで両方の道が合わさっております。
小川の縁には梅が咲き、柳がさわさわとそよ風になびいております。

東山方面には山並みも見え、繁華街から離れた懐かしい芳しい世界にやってきました。

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軒先を掃くことと「打ち水」はこの里の方々のはずせぬ習慣です。
京のひとの朝の大事な仕事が垣間見れました。

梅の花のたもとの小さな橋を渡るとかわいらしい木屋の表札には「旅館」とあります。
格子戸の奥に玄関の踏み板、その手前の石張りの土間に大き目の生け花が飾ってあります。
これは「迎え花」 ですね。(後にどこへ行っても必ずこれがなされてあると気づきます。)
昔からの造りを残しているため、間口の丈が低く、玄関もこじんまりと見えます。
こんなに小さくていとおしい感じの宿なんてあるかしら? と思わず中を思いやります。
着物の女性が出てきたので尋ねますと費用は2万円から上まで色々、とのことでした。

それにしても此処で気が付いたのは「奥まる」という魅せ方「奥ゆかしい」という言葉。
「も少し奥に続いているのだろうか。あの奥は」と脳裏を掠める誘惑。
<誘う>風情や<想像させる>風情は、ある種、時代を経て何度も塗り重ねられたもの。
日本人の本能を識る者の仕掛けたひとつの心理的な技術ですらあるのかも とさえ思えます。
恐るべしは人々の知恵がゆっくりと重ねられたものごとですね。


夜も格子戸の向こうに明かりが漏れ大きな迎え花の向こうに
玄関らしきものが見える、その空間美といったらない。


ちょっと小雨に降られて早くから開けている骨董品屋さんに寄せていただく。
看板のある格子戸の門をくぐるとその先に細長く続く通路になっていて
本物の玄関は7m先、というのが心をしんみりさせる。
というか、家人に会うための心積もりの段階を踏むようです。

玄関は普通のお宅と一緒です。すぐ横からうずたかく、骨董品が並んでいるのです。
骨董など買えるわけもありませんが普通の同世代よりは習慣のあることなので
思い切ってお願いして上がらせていただき、自分の目の肥えている範囲で
素敵だなと思うものを指して色々と伺いました。値段ではなく暗号のような平仮名が貼ってあります。

面白かったのは杯をちょいと置く為に焼かれた虫篭のような、香炉のような、花瓶でもないし、
という陶器でした。こんな不安定なものの上に杯(さかずき)を置くなんて遊びの極みですね。

女主人は行きずりの私をこの上なく丁重に送り出してくれました。
この方の様子で私の京都が決まってしまったといってもいいでしょう。
それにしてもこの土地の人は難しい事情や複雑な感情を 皆が優しい響きの簡潔な
<平仮名ことば=おんなことば>に変えて差し出すのですね。
これは、相手の立場と自分の立場を守りつつ状況と気持ちを伝える、とても頭を使うものですよね。


その後、花街で2千円のおばんざいランチを取ろうと入った店先で、若い板前さん(それとも修行中?)の方の
「おこしやす」という相当腰が低くも凛とした言葉の響きに既に完全にノックアウトされてしまいました。

「おこしやす」 ・・・・・・それは、立ち尽くすほど美しい佇まいでした。


このような精神は何処で誰が仕込むのでしょう・・。
ほんとうにほんとうに美しい。日本はいつでも初対面の誰にもゆかしく、思いやりに溢れているのですか?


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今回は神社・仏閣に見向きもせず、町屋にこだわりました。
祇園から河原町に出て、1駅。地下鉄は初乗り210円です。 そこから本格的に町家めぐりへ。

表はブティックなんですけど、お願いすると昔の玄関から見せてくださる六角さん。
お客さんの目に飛び込む向え花や掛け軸、池のある坪庭、などから大きな襖や床の間、
段違い棚が立派な広間へ通していただく。 玄関の向こうに坪庭があるお家はある程度
格があると言えるでしょう。お客様をお迎えする緑の空間は額縁で切り取った絵のようですから。

玄関から厨房を通って裏庭に通じる土間は はしりにわ、と呼ばれます。
今は床を張ってキッチンダイニングになってしまっているお家が大半です。
昔は竈が必要でしたので通路の真ん中に竈と流しを置いてその向かいの座敷が
ちゃぶだいの置かれた居間になったわけです。

縁側のような板の間の廊下。夏はここによしずを垂らすんですね。
そして奥よく見えませんがへの廊下を行くと<離れ>や<倉>があるそうです。

広間の向こうにもうひとつの座敷庭がありました。この庭はとても立派です。
ここには御所を表す丸くて平たい石があり、そのまわりに杉苔やら植木が配してあります。
京都の地形を、つまり山とか川とか、顕しているのでしょう。
当然ながら、石ものもとても重要で、置石、飛び石の他にも灯篭やら蹲やらがあります。
お祭りの来客に備えて庭師が入るのですって。

祇園祭を基準にして一年が回っていくのだと女主人はお話してくれます。
お祭りには屏風なども出すし、だちらにしても夏には襖を夏用に総とっかえするので
大変らしいです。 建具が賺しのものになり、風が通るんですね。
その襖、どこにしまうんですか?と尋ねたら 、

だから奥にある倉ですって。 ・・・・そうか。


確かに冬は寒いですね~。風がお部屋を通り抜けるのに
アルミサッシではなくガラス戸一枚ですからね。

この方の話し方、美しくて明るくて印象に残りました。
そしてすっきりとお部屋のきれいなことがとても印象に残りました。


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そのあと、観光客用の京町家を覗くと、今度はそっくりそのまま 町家の造りを確認できます。
走り庭が釜と流しの場をを通り過ぎて裏庭まで続いてきます。
座敷はすべて走り庭(土間)の左側にあり途中庭があり、一番奥には厠と風呂(五右衛門風)があって
お風呂の向こうはお稲荷などあったりして裏庭です。 離れと倉はその向こうのようです。


このスペースで庭を取ろうって言うのがどうにも粋じゃありません? 暑いにしろ、ですね。
外国人が見たら枯山水が家の一角にあるなんて、絶対に欲しくなるに決まってますねぇ。


‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘

向かいのお茶やさんでまた、町家体験。 ここでは建具に魅力を見出します。
小さなくぐり戸をくぐって、入ると若干お商品であるお茶が販売されてます。
くぐり戸はこれもまた色々と意味のあるものらしいのですが
舞良戸という木の大きな戸を開けると中の座敷が喫茶になっています。

一番目の座敷の向こうは坪庭の見える縁側(廊下)ですが仕切りが雪見障子でした。
取っ手はごく下の方についているので正座して開けるべき戸です。
引きどうも手足の動きがお着物を着ているかのように楚々と女らしくなっていきます。

廊下を曲がって向こう側の部屋に渡るとそこもまた落ち着く座敷。
その向こうにまた廊下と裏庭。白いお倉。そして手水。 つっかけで外に出てから入る厠。


祖父の家など思い出すと、全く体験していない空間ではありませんが、古くからの木屋は
呼吸をしていてなんとも気分がいいものですね。 肌が歓んでいるのがわかります。

他にも見ていて美しいな、と思うのは竹で出来た犬やらい、それから虫籠窓など。


そう、私は新規マンションの販売員をしている頃、閉塞感やシックハウスなどについて
お客様の質問に答えるうちに疑問が深まりこのような要素に惹かれたのです。

「夏のしつらえ」の参考例ということで、涼を取る町家のことを画像で知ったのでした。

それからずっと惹かれていました。 嬉しいな。満喫です。


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さて、何を食べたか、ナドですが記録としては下記。すべて素晴らしいお店に当たりました。

祇園> 川富味さんのおばんざいランチ  2000円
河原町> からしれんこんさんのお座敷。伝統的な家庭料理 アラカルトで2400円ほど。
御池付近> 野あそび ランチ(コース) 3500円


京都のほんとうの料理、それは人を圧倒する豪勢な料理ではなくて、
植物・動物それぞれのパワーが香りや生命力となって前面に出る料理です。
オーガニック・・と呼ばれるものの、はっきりした植物自身の生命感が私たちに届く料理です。
しかも、食べ物が一つ一つ戴くに感謝すべきものであると、ごく自然に私達に心を開かせてくれます。

これって、はあ、そうですか、なんて今や言えない時代です。

このタケノコさん、生まれてきてくれてありがとう!なんて食べる時に思いますか???
あなたの命を私の今後に生かします、なんて思って野菜食べますか!!????


!!!!!!!!!


そういう、お料理なんです。


これが京都なら、本当に世界に誇れるのがわかります。
日本人の繊細な味覚と自然を大事に敬う想いが示された料理。

ご主人の手際を見ていると手を掛けるべきところに
きちんと手をかけているが、無駄な動きが一切ないです。
素晴らしいなァ。美味しいわけです。



そして京都は、こういった本当に素晴らしい仕事をする職人さんを
そのようなおもてなしをする仕事人さんたちを
そうと限らなくても家のご主人や、お年寄り、そして主婦も子供も、

それぞれが十分に配慮に満ちた仕事が出来るように
実空間的にもメンタル的にも、スペースをとってあげることを知っています。
それは、座敷に余計なものを置かない、清浄とした和室のあり方にも見えますし
坪庭、座敷庭で主人の頭に小宇宙を確保することにも見えますし
言葉に拠る仕切り、丁寧な、平仮名言葉は相手の気持ちのスペースを確保し
使うだけで常にお互いへのリスペクトをもたらします。


五感が十分に働いていなくては、人間としてよい判断はできぬ。


賀茂川から山々を眺めるだけで、京都にはそのような知恵が居座っているのがわかります。


それが我々日本人がこれから急いで復旧作業に入らねばならぬ、問題です。

なぜなら、奇跡の小国は、これあってこそ、働く知能と知性だった、と思うからです。







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